これまでの活動実績
■2013年7月 大槌保育園,グループホームたろう
2013年7月17日(水)に、岩手県上閉伊郡大槌町の社会福祉法人大槌福祉会 「大槌保育園」へ2台の再生ピアノを合唱団の歌声と共にお届けさせていただきました。またその前日、岩手県宮古市の「グループホームたろう」を訪問しました。
■岩手県宮古市の「グループホームたろう」での歌の集い
■岩手県上閉伊郡大槌町の「大槌保育園」ピアノ贈呈式と歌の集い
■大槌保育園に寄贈いたしましたピアノ
左:YAMAHAピアノ、右:ATLAS(アトラス)ピアノ
今回のグループホームたろうと大槌保育園ならびに過去数回の寄贈先マッチングをしてくださった、復興支援ポータルサイト「いわて三陸復興のかけ橋」のHPにも記事が掲載されました。
大槌保育園では、岩手日報、読売新聞、NHKの取材を受け、NHKの正午及び午後のニュース等で放映されました。
■大槌保育園に再生アップライトピアノを2台届けました
去る7月17日に東京合唱団と東日本大震災メモリアル合唱団の有志10人で、岩手県大槌町の大槌保育園を訪問して、ささやかなピアノ贈呈式と保育園児達との歌の交流会を催した。
前日の早朝東京を発って、新花巻で団員が運転する2台のレンタカーに分乗して、まず宮古の「グループホームたろう」を訪ねた。昨年「ほほえみの里」に身を寄せていたこの施設が再建され、寄贈したピアノもそちらへ移動したと聞いたので、一年ぶりで訪問してお年寄りの方々との旧交を温めたのである。「ふるさとの四季」から「春の小川」、「夏は来ぬ」などを歌ったが、お年寄りの方々が大声で和して歌ってくれるので、テンポが遅れに遅れてピアノの花形さんは大弱りだった。しかし、皆大いに楽しんだ。
帰るとき、大勢の人たちが車のところまで見送りに来て別れを惜しんでくれた。そのあと、ホーム長の野崎節子さんの案内で、田老の防潮堤の上に登って、「グループホームたろう」が津波に流されたときの模様を聞いた。車椅子の人を介護士が抱えるなどして高台に避難し、全員無事だったと聞いて胸をなでおろしたが、そのすぐあとで、「あのテトラポットのところから私の親友の遺体が見つかったんですよ」という野崎さんの言葉に皆息を呑み、ただ沖に向かって黙祷するしかなかった。田老の復興はまだまだ遠い。被災者の心の傷が癒えるのはもっと先のことのように思えた。
釜石のホテルに泊まり、翌朝、カーナビでも間違える程地形が変わってしまった道を辿りつつ、ようやく大槌保育園を探し出した。このプロジェクトを仲介してくれた岩手県の「いわて未来づくり機構」の大向昌彦さんが先に到着していて我々を迎えてくれた。
年長の園児30人余りと保育士さんたちが前日に届けられたピアノの前にきちんと座っている部屋に入ってゆくと、八木澤弓子園長の号令一下、園児たちが「みなさん、おはようございます」と大きな声で挨拶した。一気に数十年をタイムスリップして、自己紹介のとき、鎌倉の比企ヶ谷幼稚園中退の私も、そのころ呼ばれていた「隆ちゃんでーす」と自然に口をついて出たのが不思議だった。市井団長が読み上げた贈呈状には、次のように書かれていた。
贈呈
大槌保育園殿
アップライトピアノ2台
右贈呈いたします
私たちは去る平成24年3月11日および平成25年3月10日上野学園石橋メモリアルホールにおいて東日本大震災追悼チャリティコンサート「鎮魂と復興への祈り」を開催しました。コンサートに参加した全員の願いを込めてこのピアノをお贈りいたします。このピアノを囲んで楽しいひとときをお過ごしいただければ、私たちは大変嬉しくまた光栄に存じます。
平成25年7月吉日
東京合唱団団長 市井善博
2回の追悼チャリティコンサートに参加してくれた全員とこれを協賛、後援してくれたすべての方々の思いが、いたいけな子供たちに正しく伝わったはずもないが、彼らが大きくなったとき、こんなこともあったと思い出してくれさえしたら、それでよいと思う。このピアノの音を聞いたことがきっかけで音楽好きになってくれればなおよい。
歌の部では、そろいの黄色いポロシャツに身を固め、「となりのトトロ」より「さんぽ」を歌いながら入場すると、子供たちも手を叩きながら、大きな声で歌ってくれた。なによりリズム感が素晴らしい。坂井田さんの歌唱指導と花形さんのピアノ伴奏によって唱歌メドレー「ふるさとの四季」から「春の小川」など5曲を歌うと、子供たちも目をキラキラさせながら一生懸命に歌った。この中には、保育士に背負われて津波に追いかけられながら逃げ惑った子供もいるに違いない。あるいは、親を亡くした子供もいるかもしれない。そんな心の傷をいっときでも忘れてくれたらいいと願って、この日のために団員が製作してくれたひよこや雀のかぶりものをかぶって「かわいいかくれんぼ」のお遊戯をよたよたとするおじさんたちの気恥かしさを子供たちの無邪気な笑い声が打ち消してくれた。結局、こちらが子供たちに遊んでもらっていたのかもしれない。
昨年私たちがピアノ寄贈を約束したあと、大槌保育園は、マスコミによって大きく取り上げられたらしい。報道によれば、大地震のあと、八木澤園長は、100人あまりの保育園児を避難所に指定されていたコンビニエンス・ストアに避難させ、迎えに来た保護者に引渡した。津波が襲ってくるという警報に、八木澤園長は、この避難所では危ないと判断し、迎えがなかった30人の子供たちを、保育士とコンビニの従業員に手伝ってもらって、近くの山に這い登って助けあげた。果たして、そのコンビニも津波に流されてしまったという。これが報道されて以来、支援の手が全国から差し伸べられたことは想像に難くない。現に保育園の別の部屋とホールには、新品らしいピアノが既に1台ずつ入っていた。新品のピアノをいくらでも手にすることも可能だったに違いないが、当初の約束通り、私たちの寄贈を快く引き受けてくれたことがありがたかった。
町民約1万5千人のうち1千4百人あまりが津波の犠牲になった岩手県大槌町の保育園から、園舎が再建されたらピアノが欲しい、できれば各部屋におきたいので2台いただけないか、という要請が寄せられたのは、昨年の春頃だったと思う。1施設に2台という点に抵抗感を持つ意見もあったが、町長以下町の職員が数十人庁舎ごと津波に流されたような激甚災害からの復興を励ます意味を込めて、要請に応えることになった。無限の可能性を秘めた30人の子供たちの命を救ってくれた美談を知ってからは、これに感謝する意味も付け加わった。
幸い、栃木県真岡市にある小野ピアノ工房調律センターの小野哲さんが修理調律を終えて再生されたアップライトピアノ2台を東京合唱団に寄贈してくれることになり、園舎の再建を待って、約束通り2台のピアノが贈られることになった。
真岡の小野ピアノ工房を訪ねたとき、ショパンが愛用したのと同じ種類の1843年製プレイエルがちょうど修理を終えたところで、それを弾いて聞かせてくれたが、その柔らかい音色に聞き惚れた。小野さんは、「古いピアノは、劣化した金属や繊維を取り替えれば、木の部分は古くなればなるほどいい音を出すので、十分再生できるのですよ」と言われた。再生技術を伝承するために全国から集まって来る弟子の育成にも努力されているという。再生ピアノを被災地に届けることには、そうした思いも伝えるという意義があると思う。
新品のピアノに決して引けをとらないほど磨き上げられ、人々の心のこもったピアノの音を聞くとき、子供たちは、きっと何かを感じてくれるに違いない。「また来てねー」と屈託のない笑顔で見送ってくれたこの子たちの未来に、多くの幸せがもたらされることを願わずにはいられなかった。
(東京合唱団 塩谷隆英 記)
また、大槌保育園に伺った際に、同じ大槌町の学校法人緑学園のみどり幼稚園にも訪問させていただきました。 まだ移転先に仮園舎が建てられたばかりの園でありますが、打楽器教育を熱心にされていると伺い、スネアドラム・テナードラム等の太鼓類を十数個寄贈させていただくお話をさせていただだいています。8月下旬の夏休み明けに間に合うようにご用意しているところです。 みどり幼稚園は2階部分まで津波で被災しましたが、震災のあとに泥の中から探し出して、分解して洗って組み立てて使い続けているというドラム数台を見せていただきました。一度汚泥と海水に流された楽器は、月日の経過と共に部品の錆びや乾燥した汚泥が噴き出ていて、痛々しいものでした。 夏休み明けの園児の皆さんに、ピカピカの太鼓の楽しい調べが届きますように・・・